数日前にあたしは気の置けない
フォトグラファーの友人と街で話をしていて。
「結局『雰囲気のあるような写真』はね、
背景ぼかしてみる、とか逆光使ってみる、とか
ある程度のテクニックで撮れるけど、
畢竟、人の『雰囲気』そのものは、
カメラで撮るなんて出来ないんですよ。」という。
快哉!ものすごく腑に落ちる。
写真についての話を聞く時に、
時折何となくむずがゆい思いをしてたのは、
きっとこの「雰囲気」が原因だったのだ。
多分おそらくカメラが写し出すことができるものは
雰囲気ではなく、距離感なのだと思う。
例えば
被写体二人の関係性、
被写体とその背景たる都市との慣れ具合、
被写体と撮る側の関係性、だとか。
関係性における距離感に投影されたもの
(つまり見ている側が感じた、想像したもの)を
あたしたちは「雰囲気」と名づけ
まるで
「その一枚に写りこんでいるもの」のように
捉えているにすぎない。
ということは、
所謂「雰囲気のある写真」と呼ばれるものは
想像を喚起しやすい、感情を投入しやすい
隙(すき)のある写真、といえるのかもしれない。
「だからね、レイさん。
新聞とかの『記録用』の写真やら
iPhoneかなんかでテキトーに撮った写真が一番ある意味
「雰囲気」が写りこんでる訳ですよ。
何の感情も意味も込めずに撮った写真が
結局一番「雰囲気」を写すって矛盾ね。」
「そっかぁ。写真て深いねぇ。」
「ま、考えないで撮ればいいって話なんですよね。」
1 comment:
とっても深いですね!
写真を撮るとき最近は
自分の撮りたいイメージよりも
その人 が写る様に
無心で撮っている様な気がします。
良い記事にぐっときました!
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